My 30th Birthday

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おめでとうございます、私。
今日で生まれて30年経ちました。
30歳ですって...もういい歳こいたおっさんですよ。

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これまでの人生の振り返り

ざっくりと人生を振り返ってみます。
10代はもう10年以上も前なので、超ざっくりですが...
記事があるものはリンクを貼っておきます。

10代:高専と一生ものの趣味との出会い

PC好きの変な中学生

父がPCを買って、その魅力に取りつかれた私は、ひたすらPCをいじっていました。
別に中身を知りたいとかそういうのはなくて、1つの遊び道具ですけどね。
オンラインゲームをめちゃくちゃやっていた記憶があります。

ただの片田舎の公立中学校ですが、中学の成績はそこそこ良く、理系に進みたいと思った私は、当時公立高校とは別枠であった高専を受験します。
別枠なので受かっても受からなくてもいいので気が楽でした。
合格したので、そのまま高専の電気情報科に入学することになります。

高専生活

PCを触ってて楽しいなーくらいな感覚だったので、最初は情報系がいいかもと思っていました。
中学生まではPCを知っていましたがプログラミングはまったく知らなかったので、その難しさに直面したのと電気関係の楽しさに触れたので、4年生からは電気電子コースを選択する事になりました。

苦手...とは言ってもプログラミングはなんだかんだで必要ですし、仕事でも使ってます。
ハードとソフト、どっちもそこそこのレベルでできるって結構いいと思いますけどね。
できることが増えて、夢が広がりますから。

電子工作との出会い

高専の1年か2年生くらいだったでしょうか。
この頃にちょうど Arduino というハードウェアが出てきたんですよね。
私はその魅力に惹かれ、電子工作に足を踏み入れることになります。

最初はリード部品やブレッドボードを使って実験みたいなのが楽しかったんですよね。
その頃の名残でリード部品は今も大量に残っています。
基板に実装するのもユニバーサル基板で苦労して実装していました。

電気・電子回路は学校の儒教でやりますが、基板関係は完全な独学です。
今も誰かに教えてもらっているわけではありません。
基板設計者の方が、私の基板を見るとよく分からないことをしているかもしれませんが、よくここまでできるようになったなと自分でも感心しています。

20代前半:波乱万丈

20代前半は怒涛の日々を過ごし、いい意味でも悪い意味でも濃厚でした。
私の5年間を返してほしいという思いがありつつ、あの頃があるから今の自分があるという思いが複雑に混じってしまっています。
これほどの波乱万丈な期間は、今後の人生には訪れないだろうと思いますし、訪れてほしくないとも思っています...

鬱になりかける

高専を卒業して、そのまま電機メーカに就職。
自分で言うのもアレですが物覚えはそこそこ良く、それなりの評価を得ていたと思っています。

ただ、パワハラ上司の標的にされ、毎日散々怒鳴られたのが今でも記憶に残っています。
それが数分ならまだいいですが、毎日数時間怒られると考えるのをやめるようになりますよ。
何をしても怒られると思うようになり、ついには仕事のプレッシャーに負けて、過呼吸(過換気症候群)になったこともあります。
このとき人生初の救急車に乗りました。
それからも仕事が嫌すぎて、会社に到着すると体調を崩したり、自然と涙が出るくらい精神的にまいってました。
相談すると一時的に改善されましたが、しばらくするとまた元に戻るという繰り返しでした。
なんとかもがき続けましたが、我慢ができなくなり同僚に泣きついたこともあります。

交通事故が人生の岐路

入社して4年ほどたった頃、普通に会社から家に帰っているときに悲劇は起きます。
青信号で横断歩道を渡っている際に車に轢かれてしまいます。
それも会社から出てすぐの交差点で...

運が良かったのか、一命を取りとめるといいますか骨も折れてないという奇跡が起きました。
車に全身を踏まれたのに骨が折れないなんてあるんだ...と思いつつ搬送先の病院には入院せずそのまま帰され、捻挫や打撲でボロボロの体をなんとかするための通院生活が始まります。

通院していると、どうしても私が担当している仕事は遅れてしまっていてグチグチ言われるのがつらくなってしまいました。
一方で「病院」という、精神的な逃げ場がようやくできたと安堵した自分もいました。
その時、なにか吹っ切れたような感じがして転職活動に勤しむようになります。
この時期の様々な決断が私の人生の今後を大きく決めていったと思っています。

転職活動と要因の消滅

ちょうど事故による通院があるので有給を取っても文句を言われない理由をつけることができたので、活動はしやすかったです。
ケガも動けないほどの症状はなかったのですが、腰痛を抱えて転職活動をしていたのを覚えています。

転職活動ではありがたいことに内定をいただいたので、あとはそれを会社に伝えて終わり!というときでした。
ややこしいことが起きてしまいました。
ちょうどそのタイミングでパワハラ上司が辞めることが決まります。
つまり転職する最大の理由がなくなってしまうという現象が起きました。

私もこれには困惑していまい、何が正しいのか分からなくなりました。
退職の慰留もほとんど面識のない人にされました(この人が現上司なんですけどね...)
それから部長や役員などにも慰留され、何日も検討した結果、残ることを決意します。

人間関係は無理でも、仕事はそこそこに好きだったんですよ。
いろんなことを天秤にかけた結果、おそらく普通ではない選択を取りました。
この選択が正しいのか正しくないのかは分かりませんが、私は自分が選択した道を悔いのないように歩いていくと決めました。

ものづくりイベントへの参加

会社では精神をすり減らされ、まったく仕事のやる気は出なかったですが、その反発でストレスを発散する目的もあり趣味には没頭するようになりました。
MFTなどの大きなイベントに出展したことはないですが、ありがたいことに参加させていただいたイベントもいくつかあります。
もちろん見る側でも東京ビッグサイトに行ったり、この頃は今では考えらないくらいのの行動力があったと思います。
自己満足でひたすら作っていたプロダクトが他者から評価をいただけるなんて思いもしなかったですから、いい経験となりました。
私の大切な思い出になっています。

執筆活動!?

私としては超個人的なブログなのですが、それを見てくださった出版社の編集の方から雑誌のコラムを書いてくれないかとお声を頂いたこともあります。
私の執筆活動のスタートであり、人生で一二を争う大きな出来事になったと思います。

いくつか雑誌のコラムを寄稿させていただいたあと、なんと書籍も出版することになりました。
同人誌じゃないですよ?ちゃんとした書籍です。

私みたいな超がつくアマチュアが本を書いてもいいものかと不安はありましたが、この頃はなんでもやってみようの精神でしたので書籍の執筆に挑戦することになります。
国会図書館に自分の名前が刻まれた本があるんですから、歴史に名を残したも同然ではないでしょうか?(笑)
人生でもうやり残したことはないなと思えるくらいの出来事です。

20代後半:コロナ禍と健康オタク

この頃からコロナ禍に突入します。
出展しようとしていたイベントもなくなったり、半導体不足で電子工作の活動自体が危うくなるなど大変な時期でした。

家庭菜園、農業分野に踏み込む

コロナ禍で電子工作があまり進まなくなってしまったので、何か変わりを見つけようとします。
その中でハマったのは家庭菜園でした。
私は黙々と作業するのが好きすぎるようです...
電子工作の知識を活かして、水やりを自動化したり、水耕栽培装置を作ったりしました。

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今でもイチゴを育てたりバラを育てたり、女々しいことをしています。
作業は泥臭いことばかりですが、異分野に挑戦という意味でもいい勉強になっています。

FA分野に夢中

仕事がFA関係ということもあり、FA分野で電子工作の知識を活かしたアイデアがどんどん湧いてきます。
耐久性や信頼性、耐環境性を深く考えられるシチュエーションで電子工作の知識の質を非常に高めてくれたように思います。

私の仕事では特殊すぎて見合った仕様のものを売ってない状況が時々あり、「なら作れそうだし、作ればいいじゃん」という状況も同時に存在するんですよね。
私の電子工作の知識が本業に生きてくるタイミングが今発生していて、大きく成長する機会だと思っています。

リハビリからの筋トレ

交通事故のケガはほとんど治りましたが、結局完全には治らず後遺障害として認定された症状もあります。
今でも右肩の可動範囲は狭く、苦労することもあります。
日常生活ではそんなに気にならない程度ですけどね。
学生時代はソフトテニス部でしたが、おそらく今ではラケットを思うように振れないと思います。
その後遺症をなんとかごまかそうと考え、筋トレをするようになります。

最初は腕立て伏せ2,3回でバテるようなヒョロガリでしたが、今では20回でも30回でもできます。
とは言いつつ、現在では何回という指標はあまり考えないようしていて、限界までやるという意識が強いです。

筋トレはなにか私の嗜好にきれいにハマったのか、ずっと継続しています。
今ではヒョロガリとは言えないような体型になってしまいました。
マッチョとは言えないですが、細マッチョでもない、中途半端なマッチョです。

筋トレからのロードバイク

筋トレをすると筋肉はある程度ついたのですが、体力はあまり付きませんでした。
体力・スタミナも付けたいと思うようにもなり、有酸素運動を取り入れようと画策します。
運動音痴の私は何だったら有酸素運動ができるかと考え、結果としてサイクリングをすることに至りました。

今では毎週のように100kmほど走ったり、ロードバイクをバラ完するまでになっています。
筋トレで肥えた体を絞ることもできて、体型維持に一役買っています。

これからの人生

健康第一であとは楽しければそれでいいかなと思っています。
やりたいとこといえば、お金も貯まってきましたし、ガレージレベルでもいいですから自分の工場がほしいですね。
それで儲けを出す事を考えず、ゆっくりとやっていけたらなと思ってるんですが、そこまでは無理かな...

でもやっぱ健康が一番大事だとしみじみ感じます。
心も体もボロボロにしてきた私ですから、これだけははっきりと言えます。
自分の代わりはいないですから、健康じゃない人生は楽しくないですよ。
お金も重要ですが、命を削ってお金を得るような真似は控えます。


ここまでよく頑張ったね、と褒めてやりたいです。
これで人生も一区切り、だと思っています。
平穏が一番ですよ...
安定志向になってしまうくらいには、もう十分堪能しました。
人生のゴールはまだ決まっていませんが、好きなものをやっていきたいものです。

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